

2025年10月13日。大阪・関西万博は、情熱と感動に満ちた半年のクライマックスを迎えようとしています。私は来場予約が難しい中、45回目の来場が一足早い最終日となると考え、何をするべきか当日の行動プランを立てました。

いのちの期限と45回、夢洲に通った最終日の行動計画について
私の万博への挑戦は、4月19日の開幕から、仕事帰りに夢洲へ足を運ぶこと45回。一つのパビリオン、一つのレストランに情熱を注ぎ続けた、濃密な半年間でした。

「半年で終わる万博に行って意味があるの?」
最初、妻からは「半年で終わる万博に行ってブログを書く意味なんてあるの?」と問われました。しかし、私の心には強い確信がありました。

「半年で終わるからこそ、今しかできない。命にも時間にも限りがある。それは、私にとって『たった一度の命、やる意味があるの?』と問われたのと同然だ」と。この言葉が、私の万博への情熱を一層燃え上がらせました。

私自身、2年前まで万博に興味すらありませんでした。父の「行く」という決断からチケットの購入や予約をサポートし、私が4月19日に下見として会場へ。母も興味がなかったのですが、父の一言がこの壮大な物語の始まりだったと感じています。
通期パス購入への運命的な経緯

両親のためにと応募した、開催前のテストラン(競争率9倍)は落選しました。しかし、この落選がなければ、後に通期パスを購入して毎週仕事帰りに通うようにはなれなかったでしょう。

初回の4月19日、両親のために9時入場に予約を変更。朝7時までに夢洲に行き、周囲を調査してから初めて入場しました。まずしたことは大屋根リングに上がり、全体の景色を見渡すこと。空いているうちにパビリオンの外観を撮影したかったからです。

東から西へ移動し、EXPOアリーナ「Matsuri」で見た石黒浩プロデューサーの「いのちの未来」オープニングイベント。私が最も注目していたイベントに釘付けになり、「これでは両親にアドバイスできない!」と使命感を感じ、すぐさま「通期パス」の購入を決断したのです。

夢洲に毎週通い、5月4日には両親にアドバイスする記事を作成。両親が万博に行った日、私も仕事を終えてから夢洲に行き合流。親子の良い思い出となっています。
仕事帰りの夢洲で掴んだ「奇跡の体験」
制覇を目指し、仕事を終えてから19時ごろに夢洲へ。夏まではコスモスクエア駅から夢洲駅の間、同じ車両に私しかいないこともありました。しかし、会場内の混雑を見て、制覇は難しいと感じ、6月からは週2回、水曜日と金曜日に足を運ぶことに。傘をさした記憶がないほど、天気には恵まれました。

この孤独な挑戦が、私ならではの体験を生みました。
唯一の対話者

お盆期間中、『Dialogue Theater いのちのあかし』で、私は幸運にも、わずか1人しか選ばれない対話者になれたことは、私の万博での最も深い記憶です。 👉対話者になった体験はこちら
予約困難なNTT館を突破

海外パビリオンをほとんど回り終え、残る国内の予約限定パビリオン。NTT館やガスパビリオンのスタッフの方々から「諦めないでください!」と励まされ、NTT館は当日の開放時間で予約が取れました。 👉NTT館の体験記事
子供の「帰りたさ」がくれた幸運

子供招待券の最終期限8月末に子供を連れて、万博に入場し楽しんでもらえるようプランを練っていましたが、食事まではよかったのですが、その後ロブロックスで遊べるということで一番楽しみにしていたマレーシア館が夏の暑さの中、大行列で辛くなり、家に帰りたいと言い出し、帰ることに。

この帰りの電車の中で、ふとなにげなくスマホを取り出し見るとガスパビリオン「おばけワンダーランド」の夜の枠が空いていたので当日予約をしました。 👉ガスパビリオン「おばけワンダーランド」体験ガイド 子供を家に送り、そしてまた夢洲に戻り、誕生日に入れなかったベルギー館のレストラン「REVIVE」でリベンジの食事も楽しめました。不思議な巡り合わせですね。 👉ベルギー館レストラン「REVIVE」でのリベンジ

食の一番の思い出

万博での食事で一番記憶に残ったのは、ハンガリー館のレストラン「ミシュカ キッチン&バー」です。

総料理長であるヴィダーク・ゾルターン氏にお会いし、撮影させていただいたことは、かけがえのない思い出となっています。 👉ハンガリー館レストラン「ミシュカ キッチン&バー」
最後の昼入場で、人生の終盤と同じ感覚で立てた行動計画
9月に入り、予約がさらに取りにくくなりましたが、ブログのアクセスが8倍に伸びたこともあり、妻が週末の来場を許可してくれる日も増えました。

しかし、中旬以降、10月の予約も困難になると感じた私は、妻にお願いして10月4日(土)12時入場の予約を取りました。これが私の昼から入場できる最後の日。残すは仕事帰りの夜のみとなりました。

まるで人生の終盤を迎え、最後の日に何をしたいのか考えるのと同じ感覚になりました。
【10月4日(土)に実行した「後悔しない行動リスト」】

この日は、並んで時間を使うのを極力減らそうと考えました。
明るいうちに大屋根リングへ

いろんな角度からパビリオンを撮影し、これまで撮影した2万枚以上の写真と動画に「漏れがないか」を確認。
インフォメーションセンターでの最終チェック

スタッフの方にブログを見ていただき、まだ行けてない「穴場スポット」を教えてもらいました。 👉自由入場で楽しめる「穴場スポット」ガイド
心残りのない「記念品」を購入

住友館などで、思い出の記念品を購入。
万博閉幕後の姿に思いを馳せる

「迎賓館」など、普段見られない場所の調査も行いました。万博閉幕後、結婚式場などになるケースも多いため、その未来に思いを馳せるのも楽しみの一つです。
最後のパビリオンは「夢」をテーマに

最後は、ブログのテーマである「夢」と通じるシンガポールパビリオンへ。60分並び、展示を体験。

「CLOUD BAR」で交流

展示体験後でしか味わえない「CLOUD BAR」で本場シンガポールスリングを堪能。相席の方々との会話を楽しみ、万博が繋いでくれた人との交流を深く実感しました。自撮り棒が禁止の会場で、写真撮影を手伝って喜んでもらえたことも、私の大切な思い出です。
最後の夜に選んだ「つながり」の味と「リボーン」への誓い
最後の夢洲行きは夜。コスモスクエアから夢洲駅に着く前のアナウンス「いよいよ夢洲!」を聞き、いよいよ最後の日だと感じました。
最後の「〆の一杯」に込めた願い
河童ラーメン本舗 大阪・関西万博店」で、最後の「〆の一杯」。ここは今まで万博ならではのユニークなレストランを追い求めてきたので、避けてきたのですが最後の日に行きました。

なぜならよく目にするお店だからこそ、行くごとに万博の感動が蘇ると感じたからです。ノスタルジックな店内は「昭和の学校の教室」をテーマにしており、使われなくなった机と椅子が使われています。懐かしさと未来が交錯するこの空間で食べるラーメンは、「いのち輝く未来社会のデザイン」という万博のテーマにも通じる、意味深い「食事」となりました。
お気に入りパビリオンでの完結と、大屋根リングでの最後の晩餐

パビリオンは、2度目の予約が叶わなかった「いのちの未来」への心残りを抱えつつ、並んで入れるお気に入りの「TECH WORLD」で締めくくりました。そして、大屋根リングからの「アオと夜の虹のパレード」を鑑賞し、壮大な夜景と一体になったフィナーレを迎えました。

帰りにリングサイドマーケットプレイス西のKebab Labで「ケバブセット」と瓶ビール(生ビールは売り切れ)をテイクアウト。

テイクアウトには紙コップが付いてきました。さらに2階のWeihenstephaner Oktoberfestで美味しい生ビールを購入し、21時半の閉店時にジョッキから残りを紙コップに移し、テラス席へ。

大屋根リングを眺めながら思い出にふけり、食事を楽しみました。

45回の挑戦が結実したこの夜、万博の象徴であるリングを見上げながら過ごした時間は、私にとって一生忘れられない、「最後の食事」となりました。 👉Weihenstephaner Oktoberfestでの体験
これで終わりではない。「いのちの答え」と新たな始まりへ

私は50回という目標には届かず、『null²』のダイアログモード体験も心残りです。しかし、45回夢洲に通い、自分なりにできることはやりきりました。

命にも限りがあるという問いかけに燃えた情熱が、この半年間で私に「いのちの答え」を与えてくれました。 それは、「いのちを知る」「いのちを育む」といった万博のテーマ事業を通して、多様な考え方を受け入れ、生き生きと自分らしく生きることの大切さでした。

そして、この半年間は、「命」と同じぐらい「夢」も大切だと改めて感じた期間でした。夢を持てるのは人間ならでは。夢を持つことで、命は未来に向け、より輝くものだと確信しました。万博が終わっても、私は「リボーン(生きたまま生まれ変わり)」、新たな自分で頑張っていけそうです。

読者の皆様本当にありがとうございます!人生を凝縮させたような疑似体験をさせてくれた万博に感謝!スタッフの方々、本当にありがとうございました!

これで終わりではなく、これからが本番です!

私は様々なパビリオン、レストランの方からヒアリングを行ってきました。閉幕後、リサイクルや移設により、新たな形で私たちと繋がる「いのち」を、ブログを通じて発信していきます。万博に行けなかった方にも見ていただけるよう、私もいのちを大切に頑張っていきます!
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