幾多の苦難を乗り越えてきた、薬師瑠璃光如来の功徳がいただける寺院
【伊予国分寺について】
愛媛県今治市にある金光山 最勝院 国分寺は、聖武天皇の勅願により僧侶の最高位である大僧正で、奈良東大寺の大仏造立者としても知られる名僧「行基」が開基し741年に創建。真言律宗の歴史あるお寺です。ご本尊は、病を治癒し功徳ある仏として知られる「薬師瑠璃光如来」で、病気回復の祈願に多くの人が訪れています。
【伊予国分寺の歴史】
弘法大師(空海)ゆかりの地、88ケ所を巡る四国遍路の第59番札所がこちら日本遺産の伊予国分寺。過去に幾度も戦に巻き込まれながらも、再建されてきた寺院です。歴史を振り返ると936年頃、藤原北家から海賊の棟梁となり朝廷に抵抗した藤原純友の乱で焼失。1180年から6年間に渡って平氏政権に対する反乱が起こり、鎌倉幕府の時代へと移行する源平合戦(治承・寿永の乱)で焼失。1336年、足利尊氏が武家政治の再興を目指し建武の中興に背き、南朝の後醍醐天皇に対抗。尊氏は光明天皇をたてて北朝を開いた。新田義貞が討死した後は、義貞の実弟である脇屋義助が四国中国地方の総大将として南朝に尽くしたが、ここ伊予国分寺にて病没。享年38歳であった。この南北朝の動乱によって伊予国分寺は3度目の焼失となった。 脇屋義助公の廟堂は、伊予国分寺からすぐ。現在、新田・脇屋発祥の地である群馬県太田市と愛媛県今治市は姉妹都市となっています。1584年、土佐から伊予に侵攻してきた長宗我部の兵火にかかり焼失。伊予国分寺は4度も戦火によって焼失してきましたが、江戸時代後期から本格的に復興し現在に至っています。
【ご案内】
本堂へは、駐車場から階段を上がります。
階段を上がって右側が本堂、左側が納経所になります。
本堂の手前には鐘があり、その前には脇屋義助公の廟堂への案内があります。
伊予国分寺の本堂へ。
伊予国分寺の手水舎では、薬壺から水が出ています。
【握手修行大師と薬師のつぼ】
握手修業大師では、お大師様と握手をして願いを1つだけ。薬師のつぼでは、自分の体で気になるところが書かれている場所に触れながら、薬師如来の御真言「おん ころころ せんだりまとうぎ そわか」と唱えます。
【薬師如来】
伊予国分寺の薬師如来。病気回復・健康の祈願。
【納経所】
伊予国分寺の納経所。
納経所の入口。
納経所の中では、参拝地図の他、薬師如来ストラップやピンバッジなどが並んでいます。
【伊予国分寺 基本情報】住所・電話番号
住所 | 愛媛県今治市国分4-1-33 |
電話 | 0898-48-0533 |
駐車場 | 有料で完備 |
【アクセス】
今治インターチェンジから国道196号線を西条市(旧:東予市)方面へ。高市交差点を左折し直進。県道156号線を右折して約1キロ。
【地図】
【グッドポイント】
握手修業大師に願い事 | 薬師のつぼに触れて願う |
薬師如来像に手を合わす | 脇屋義助公の廟堂が近くにある |
【まとめ】
幾多の困難を乗り越え、現在は日本遺産となった伊予国分寺。握手修業大師や薬師のつぼ、薬師如来と健康祈願できる寺院です。南北朝時代、南朝の総大将としてこの地域を守ってきた脇屋義介公の廟堂も近くにありますので、是非立ち寄ってみて下さい。
【周辺おでかけスポット】
愛媛県今治市周辺はタオル美術館、今治城、しまなみ海道方面など見どころが沢山あります。
【大山祗神社】
全国に1万とある山祗神社の総本社です。主祭神の大山積大神は天照大神の兄神、山と海の守護神として知られています。神社内にある宝物館には、脇屋義助公が奉納した剣も展示されています。しまなみ海道、大三島に行くなら外せないスポットです。大山祗神社の情報はこちらです。
【脇屋義助公廟堂】
伊予国分寺からすぐ。南朝の忠臣、脇屋義助公廟堂の情報はこちらです。
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