鎌倉宮は神奈川県鎌倉市にあり、ご祭神は後醍醐天皇の第二皇子である(大塔宮)護良親王(おおとうのみや もりながしんのう)です。1869年2月、建武中興に尽くされた親王の御意志に想いを馳せ明治天皇が創建された神社です。
【鎌倉宮について】
【ご祭神の護良親王と歴史】
源頼朝が開いた鎌倉幕府も北条氏が実権を握るようになり、世の中は廃れていました。そこで護良親王の父である後醍醐天皇が鎌倉幕府倒幕の兵を挙げると親王は還俗され参戦。京都御所を脱出した後醍醐天皇を助け、元弘の乱では護良親王の忠臣である村上義光らと吉野周辺を転戦。村上義光は、吉野城が落ち北条方に一時追い詰められた護良親王の身代わりとなって自害。護良親王の首でないと知った北条方は道に捨て、里人が拾って吉野で弔われた為、村上義光の墓は吉野にあります。
一方、足利高氏は天皇を監視する六波羅探題を攻め滅ぼし、新田義貞と脇屋義助らは鎌倉を攻め、執権である北条高時らを討ち鎌倉幕府は滅亡。天皇親政が復活すると護良親王は征夷大将軍に任命されました。足利高氏は後醍醐天皇のお名前(尊治親王)から一字を与えられ、足利尊氏と名前を改めますが、その後武家政治の再興を目指し建武中興から離反します。1334年11月、尊氏は親王を鎌倉東光寺の土牢に幽閉し、1335年7月に足利尊氏の弟である直義は家臣の淵辺義博に親王暗殺を命じ、9ケ月も幽閉されていた親王は28歳で薨去されたとなっています。
【厄割り石と撫で身代わり様】
鎌倉宮には厄割石があり、盃(かわらけ・100円)に息を吹きかけ石に投げつけ割ります。
拝殿の右には親王の忠臣である村上義光公の像があり、なでることで身代わりとなってくれるとされています。
【お守り】
撮影とブログ掲載許可を受け、いよいよ鎌倉まで来た目的である土牢・宝物殿・御神苑の受付をします。こちらの受付では、お守りも並んでいますのでご紹介いたします。
鎌倉宮ならではの獅子頭など、交通安全、厄除け、学業、開運、健康などのお守りがずらりと並んでいます。
獅子頭は古来より厄除け、魔よけのお守りであり、ご祭神の護良親王が兜の中に獅子頭のお守りを忍ばせて戦っていたことから由縁となり、鎌倉宮ならではのお守りとなっています。玄関周辺に置くことで、悪いものは打ち払い福を招き、車にのせると身代りとなって大難を小難に、小難を無難にと守ってくださるようです。
【土牢・宝物殿・御神苑の拝観 】
土牢(つちろう)、宝物殿(ほうもつでん)、御神苑(ごしんえん)の拝観入口で、拝観料は中学生以上が300円、小学生150円、小学生未満は無料となっています。(※2019年現在の情報です)
【土牢】
護良親王は1334年(建武元年)11月から1335年7月23日までの約9ケ月間、こちらの土牢に幽閉され、28歳で薨去となっています。
土牢の広さは深さ約4メートル、広さ約4メートル四方。八畳敷ほどのところで護良親王は幽閉されていました。足利尊氏の弟で執権を務めていた足利直義(ただよし)は家臣の淵辺義博(ふちべのよしひろ)に親王の殺害を命じます。1335年7月23日、義博は刀を持って土牢に入ると、親王は刀の先を噛み折るなどし、首を取られた後も両目を開いたまま義博をにらみつけており、恐れた義博は首を捨てて立ち去ったと太平記に残されています。ただ、親王の殺害を命じられたものの義博は哀れんで、親王を助け逃したという説もあります。
【護良親王馬上像】
護良親王は天照大神の子孫であり、神武天皇から95代目となる後醍醐天皇の第二皇子として、1308年に誕生されました。6歳になられた大塔宮尊雲法親王(のちの護良親王)は出家し、比叡山で過ごして天台宗総本山、比叡山延暦寺の天台座主(天台宗の寺を総監する最高住職)になられます。太平記によると聡明なお人柄で、学問だけでなく武術に励み、文武両道の皇子へと成長されました。父である後醍醐天皇を助け、還俗して護良親王(もりながしんのう)と名乗られた大塔宮は、各地へ鎌倉幕府追討の令旨を発しました。これに応じた楠木正成、新田義貞、脇屋義助らの活躍もあり鎌倉幕府を滅亡へと追い込み、見事に建武中興を成し遂げられ天皇親政を復活。
護良親王は征夷大将軍となり、六波羅探題を攻略し活躍した足利高氏は、後醍醐天皇のお名前(尊治親王)から一字を与えられ、足利尊氏と名前を改めました。ただ、護良親王は足利尊氏が野心を持っていることをいち早く見抜き警戒します。数年後、護良親王の予感が的中し足利尊氏は建武の中興から離反。武家政治の再興を目指す、足利尊氏と対立することになります。護良親王は尊氏の陰謀で無実の罪を着せられ、土牢に9ケ月間幽閉された果てに暗殺され、28歳という若さで薨去されました。時は流れ1869年、明治維新の大業が結ばれたのは、護良親王の御先徳によるものと明治天皇は深く追慕敬仰され、勅命により宮号を鎌倉宮と定められました。護良親王ご終焉の地であるここ鎌倉二階堂の地に、ご社殿を造営し護良親王の御霊を祀られ1889年に彫刻家、山田鬼斎によりこの護良親王馬上像が制作されました。
【御下賜額・鎌倉宮創建まで】
大政奉還で江戸幕府による武家政治の時代が終わり、天皇を中心とする明治時代に入ります。1333年に鎌倉幕府が滅亡し、後醍醐天皇が親政を復活させて以来、約540年ぶりに天皇親政が復活。それまでは江戸幕府を開いた徳川家康を神格化して、東照宮を全国に建立していましたが、新政府は国家のために尽くし特別に功労した、建武中興関係の南朝殉難者の神社創建を促進していくことになります。
そこで、後醍醐天皇に従い鎌倉幕府の討幕に貢献した1人である楠木正成と護良親王が取り上げられました。明治天皇により1869年に鎌倉宮が創建され、楠木正成を祭神とする湊川神社を1872年に竣工。後醍醐天皇を祭神とする吉野神宮は1889年に創建されました。
【建武中興関係神社一覧】
【神社】 | 【御祭神】 | 【地名】 |
吉野神宮 | 後醍醐天皇 | 奈良県 |
鎌倉宮 | 護良親王 | 神奈川県 |
井伊谷宮 | 宗良親王 | 静岡県 |
八代宮 | 懐良親王・良成親王 | 熊本県 |
金崎宮 | 尊良親王・恒良親王 | 福井県 |
小御門神社 | 藤原師賢公 | 千葉県 |
菊池神社 | 菊池武時公・菊池武重公・菊池武光公 | 熊本県 |
湊川神社 | 楠木正成公・楠木正行卿・楠木正季卿 | 兵庫県 |
名和神社 | 名和長年公 | 鳥取県 |
阿倍野神社 | 北畠親房公・北畠顕家公 | 大阪府 |
藤島神社 | 新田義貞公 | 福井県 |
結城神社 | 結城宗広公 | 三重県 |
霊山神社 | 北畠親房公・北畠顕家公・北畠顕信公・北畠守親公 | 福島県 |
四条畷神社 | 楠木正行卿・楠木正時卿・和田賢秀卿 | 大阪府 |
北畠神社 | 北畠顕能公・北畠親房公・北畠顕家公 | 三重県 |
【御祈祷受付】
安産祈願、七五三、初宮詣、十三詣、成人式、結婚式、還暦祝、病気平癒祈願、交通安全(車祓)、厄除、合格祈願、商売繁盛などの御祈祷・御祈願を受付されています。
【鎌倉宮】基本情報
【住所・電話番号】
住所 | 神奈川県鎌倉市二階堂154 |
電話番号 | 0467-22-0318 |
【拝観料金】
土牢・宝物殿・御神苑の拝観は料金が必要です。
一般料金 | 30名以上の団体料金 | |
大人 | 300円 | 200円 |
小学生 | 150円 | 60円 |
※現金のみ※団体はまとめ払いのみ割引適用※鎌倉市内の小学生と一般の小学生未満の幼児は無料
【拝観時間】
年中無休で、拝観は20~30分程度。
拝観時間 | 9:30~16:00 |
拝観日 | 年中無休 |
【アクセス・駐車場】
電車 | 鎌倉駅より徒歩約30分 |
バス | 鎌倉駅の東口、京急バス[鎌20・4番]大塔宮行き、大塔宮下車すぐ |
駐車場 | 普通車1時間450円、以降30分毎220円 |
【鎌倉宮の地図】
【グッドポイント】
観光地で見どころも豊富 | 結婚式ができる |
南北朝時代の歴史を学び取ることができる | 土牢、宝物殿などを拝観できる |
【まとめ】
天照大神の子孫である、護良親王が御祭神である鎌倉宮。護良親王は天台座主であったが、父である後醍醐天皇を助けるため還俗し、鎌倉幕府を討幕。親政復活に大きく貢献され、征夷大将軍に。文武両道の護良親王は大変人気があり、その魅力を知る人々が参拝に訪れます。鎌倉観光の際、歴史にご興味をお持ちの方は是非プランに入れてみて下さい。
【周辺のグルメスポット】
鎌倉周辺は飲食店も多く、迷うかと思います。食べ歩きもいいと思いますが、しっかりお食事をしたい方はご参考下さい。
【麻婆豆腐専門店かかん】
行列ができる人気店です。鎌倉駅からすぐですが、並ぶのに時間を使ってしまうと観光できなくなってしまいますので、ピークタイムを避けて行くのがオススメです!麻婆豆腐専門店かかんさんの情報はこちらです。
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