
【吉野神宮について】
吉野神宮は奈良県の吉野山下千本エリアにあり、御祭神は後醍醐天皇で1889年に明治天皇が創建した神社です。
【専用駐車場と電車でのアクセス】

参拝者専用の駐車場。車なら吉野神宮のすぐ前に駐車することができます。電車の場合は近鉄吉野神宮前から坂道の参道を約1キロほど歩き、20分程度。
【吉野神宮 自動車おはらい所】

吉野神宮は自動車のお祓いができる神社としても有名。拝殿で受付しています。
【紅しだれ桜】

吉野神宮は下千本エリアにありますが、紅しだれ桜は奥千本が見ごろの4月中旬あたりでもキレイに咲いていました。
【大鳥居】

本殿、拝殿、神門など総檜で造営されており、境内配置等含め近代神社建築の代表作である吉野神宮。

吉野神宮は清潔感とセンスを感じれます
【結婚式受付 / 厄除祈祷】

2人だけの挙式もできるほか、衣装や記念撮影の手配も可能のようです。
【試験合格・諸願成就祈願】

受験生の間では後醍醐天皇のファンが特に多く、試験合格、諸願成就祈願に訪れるようです。
【御祭神・建武中興について】
ここからは、吉野神宮のご祭神である後醍醐天皇、境内案内図、建武中興関係神社についてご紹介いたします。
【吉野神宮 境内案内図】

①参道②大鳥居③紅しだれ桜④神門⑤拝殿⑥幣殿

吉野神宮の祭神は後醍醐天皇。境内にある摂社は④神門⑤拝殿の間にあり、御影神社(藤原資朝卿、藤原俊基卿)、船岡神社(児島高徳卿、児島範長朝臣、桜山茲俊朝臣)、瀧櫻神社(土居通益朝臣 、得能通綱朝臣)と 南朝方で活躍した後醍醐天皇の忠臣が祭神となっています。
【御祭神 後醍醐天皇】
後醍醐天皇(尊治親王)は、建武の中興で天皇親政を復活された第96代天皇です。
当時は、源頼朝が開いた鎌倉幕府も北条氏が実権を握るようになり、世の中は廃れていました。
そこで後醍醐天皇は倒幕の兵を挙げます。足利高氏らは京都で朝廷の行動などを監視する役割を持つ六波羅探題を滅ぼし、新田義貞とその弟である脇屋義助らは鎌倉を攻め、執権である北条高時らを討ち鎌倉幕府は滅亡しました。
河内源氏義国流(清和源氏)の新田氏、足利氏の活躍もあり、後醍醐天皇は念願の京都へ帰還することができます。
貢献した足利高氏には軍事政権の長官にあたる鎮守府将軍に任命し、後醍醐天皇のお名前(尊治親王)から一字を与えられ、足利高氏は尊氏と名前を改めます。
建武の中興(けんむのちゅうこう)で、武士が有していた政権を朝廷へ。
大政奉還で政権を江戸幕府(武士)から朝廷に復活された明治天皇も、この想いも馳せられ、吉野神宮を創建されたことでしょう。
建武中興にて天皇親政復活のご偉業を成し遂げられ、世の中に平和が訪れました。
ただ、数年後に武家政治の再興を目指す足利尊氏が離反します。後醍醐天皇は尊氏追討を命じられ、出陣した新田義貞、脇屋義助、北畠顕家らは朝敵となった足利軍を駆逐。尊氏は九州へと逃れますが、しばらくして持明院統の光厳上皇の院宣を得て、朝敵になってしまうことを回避します。足利尊氏は湊川の戦いにおいて楠木正成ら宮方を撃破し、光厳上皇を奉じて入京しました。京都入りした尊氏は、光厳上皇の弟である光明天皇を即位させ北朝が成立。
後醍醐天皇は光明天皇に三種の神器を渡した後、京都の花山院(かざんいん)に幽閉されてしまいます。
ただこのままでは終わらないのが、後醍醐天皇の凄いところ。後醍醐天皇は花山院を脱出して吉野へ。本物の三種の神器は手元にあることを宣言され、吉野朝廷(南朝)を成立されます。ここに吉野朝廷(南朝)と京都の朝廷(北朝)が対立する南北朝時代が到来します。 これ以降のお話は、まとめでご紹介いたします。
【建武中興関係神社 一覧表】

建武中興関係神社(元官幣社)の一覧です。
【神社】 | 【御祭神】 | 【地名】 |
吉野神宮 | 後醍醐天皇 | 奈良県 |
鎌倉宮 | 護良親王 | 神奈川県 |
井伊谷宮 | 宗良親王 | 静岡県 |
八代宮 | 懐良親王・良成親王 | 熊本県 |
金崎宮 | 尊良親王・恒良親王 | 福井県 |
小御門神社 | 藤原師賢公 | 千葉県 |
菊池神社 | 菊池武時公・菊池武重公・菊池武光公 | 熊本県 |
湊川神社 | 楠木正成公・楠木正行卿・楠木正季卿 | 兵庫県 |
名和神社 | 名和長年公 | 鳥取県 |
阿倍野神社 | 北畠親房公・北畠顕家公 | 大阪府 |
藤島神社 | 新田義貞公 | 福井県 |
結城神社 | 結城宗広公 | 三重県 |
霊山神社 | 北畠親房公・北畠顕家公・北畠顕信公・北畠守親公 | 福島県 |
四条畷神社 | 楠木正行卿・楠木正時卿・和田賢秀卿 | 大阪府 |
北畠神社 | 北畠顕能公・北畠親房公・北畠顕家公 | 三重県 |
【御祈祷受付・お守り等】

お清めの塩、清めの干支鈴などが並んでいます。





吉野神宮の宮司さんから色々お話をお聞かせいただき、最後に健康が一番だと吉野の葛湯をいただきました。
確かに元気だからこそ活動ができますからね!「おでかけぶろぐ」の読者様も健康を大切になさってください。
【吉野神宮 基本情報】
住所 | 〒639-3115 奈良県吉野郡吉野町吉野山3226 |
電話番号 | 0746-32-3088 |
拝観料 | 無料 |
拝観時間 | 8:30~17:00 |
電車アクセス | 近鉄電車(南大阪線)大阪あべの橋から特急で約1時間15分、吉野神宮駅より約1㎞(約20分程度) |
車アクセス | 24号橿原から169号で約30分。名阪国道の針インターから369号を経て約1時間。 |
駐車場 | 無料(但し1時間以内) |
【吉野神宮の地図】

吉野神宮内には随所にハートがちりばめられています❤
探し出すのも楽しいですよ~💛
【吉野神宮が応援するYoshino Heart プロジェクトとは】
よしの はーと プロジェクトとは、吉野材を利用した製品「Yoshino Heart 」というブランドの普及を通じて、吉野の森に健全な育林サイクルを取り戻し、吉野地域の林業関連産業の活性化を推進するための活動です。
【グッドポイント】
観光地で見どころも豊富 | 結婚式ができる |
南北朝時代の歴史を学び取ることができる | 近代神社建築の代表作 |
【まとめ】
後醍醐天皇は吉野山で崩御され、その後は後村上天皇、長慶天皇、後亀山天皇へと南朝は受け継がれてゆきました。こちら吉野神宮は神社としては珍しい、北を向いて建てられています。それは後醍醐天皇が、京都御所への帰還を強く望まれていたからだそうです。ある時は笠置山に、ある時は隠岐の島へと幾多の辛苦を重ねながらも偉業を成し遂げられた後醍醐天皇は、歌道など文化面だけでなく学問の研鑽、神道をはじめ真言、天台、禅宗などの奥義も極められたと伝えられています。吉野神宮には学生さんをはじめ、若い人も足を運ばれています。後醍醐天皇のチャレンジするお姿が、現代の日本の若い人の心に響くのかもしれませんね。長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます!
【世界遺産 吉野山 モデルコース 】
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