【対潮院について】
対潮院は1608年に開山し、本尊は如意輪観音。臨済宗伍通寺派(現在は臨済宗妙心寺派)で、広島県因島土生町の寺院であり、稲井勘解由左衛門尉源家治の屋敷であった。稲井勘解由は、吉野朝(南朝)四国中国地方の総大将、伊予国分寺で生涯を閉じた脇屋義助公の子孫である。村上水軍第二家老、因島土生の小丸山城主で、村上水軍が毛利水軍となる1555年の厳島合戦に出陣してから、伊予松前城攻めで討死するまで毛利水軍として活躍した。現在の稲井家菩提寺である本源禅寺の前身加養庵(後通庵)は毛利輝元の家臣である高橋右京進の嫡男、田頭源左衛門が建立している。稲井家は海の守護神でもある大山積大神を尊崇していたことは、稲井家の家紋が大山祗神社の神紋から成っていることからも伝わってきます。対潮院の周囲は以前、堀などに囲まれた要害の地となっておりましたが、第二次世界大戦後に埋め立てられています。
対潮院は瀬戸内観音霊場の第二十六番、せとうち七福神べんてんさんの第三番、因島八十八ケ所霊場としては大山寺の第五十二番となっています。
【稲井家の家系について】
代 | 名前 | 概要 | 墓 |
1 | 清和天皇 | 第56代天皇 | 水尾山陵 |
2 | 貞純親王 | 清和天皇の第六皇子 | 円覚寺 |
3 | 経基王 | 源経基(清和源氏初代) | 六孫王神社 |
4 | 満仲公 | 多田院建立 | 多田神社 |
5 | 頼信公 | 石清水八幡宮に願文 | 通法寺 |
6 | 頼義公 | 石清水八幡宮に大般若経を供養 | 通法寺 |
7 | 義家公 | 八幡太郎と号す | 通法寺 |
8 | 義国公 | 八幡太郎源義家の三男 | 義国神社 |
9 | 義重公 | 新田氏初代 | 円福寺 |
10 | 義兼公 | 奥州征伐、12郷の地頭 | 円福寺 |
11 | 義房公 | 33歳にて卒去 | 菅沢村 |
12 | 政義公 | 新田太郎と称し鎌倉幕府に仕える | 円福寺 |
13 | 政氏公 | 新田又太郎と称し鎌倉幕府に仕える | 円福寺 |
14 | 基氏公 | 新田六郎 | 円福寺 |
15 | 朝氏公 | 新田義貞、脇屋義助の父 | 円福寺 |
16 | 義助公 | 吉野朝(南朝)の大将 | 国分寺 |
17 | 義治公 | 村上師清に子息、助盈を託す | 両新田神社・円福寺 |
18 | 助盈公 | 師清より稲井城を賜り、稲井頼国(村上三郎)に | 宝持寺 |
19 | 助富公 | 稲井頼康は村上家第二家老、因島土生の小丸山城主で三宝荒神社等建立 | 宝持寺 |
20 | 助之公 | 通明(稲井太郎左衛門)、因島村上家第二家老、小丸山城主 | 宝持寺 |
21 | 治之公 | 頼親、因島村上家第二家老、小丸山城主 | 宝持寺 |
22 | 家治公 | 頼綱、因島村上家第二家老、小丸山城主、伊予松前城攻めにて討死 | 対潮院 |
23 | 治憲公 | 頼方、因島村上家第二家老、小丸山城主、毛利水軍、対潮閣を仏院とする | 対潮院 |
24 | 嘉治公 | 頼重、村上吉充に随逐し壬生川村を本貫の地とする | 本源寺 |
【対潮院 基本情報】
住所 | 広島県尾道市因島土生町474-1 |
電話 | 0845-22-0271 |
駐車場 | 完備 |
【アクセス】
しまなみ海道の因島南または北インターチェンジより車で約10分
【地図】
【まとめ】
稲井家は村上師清から贈られた稲井城を村上一門に譲り、因島土生に小丸山城を築いた。小丸山の山麓には宝持寺、三宝荒神社を建立。対潮院は稲井家下屋敷対潮閣であった。伊予松前城攻めの戦没者を弔うために仏院とした稲井邸対潮閣は、明峯恵三和和尚が中興開山となって慶長十三年対潮院として再興した。因島水軍城でも詳しく紹介されているが、村上水軍の第一家老は脇屋義助の兄である新田義貞の子孫で、新田義宗の子である義處は姓を救井に改めた。救井家は青影城代となり、脇屋義助の子孫である稲井家は小丸山城代となり、村上水軍の第二家老として因島で(吉野朝)南朝方と合流して活動していた。
【周辺スポット】
大山神社、因島水軍城、金蓮寺などがあります。
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