スポンサーリンク

史跡・名所の小路 脇屋義助公廟堂|愛媛県今治市

脇屋義助公廟堂
脇屋義助公廟堂
おでかけぶろぐ管理人lago
おでかけぶろぐ管理人lago

兄の新田義貞公と鎌倉を攻め、鎌倉幕府を滅亡へと導いた脇屋義助公。同じ清和源氏(河内源氏義国流)の足利尊氏が後醍醐天皇から離反した後も、吉野朝(南朝)の大将として後醍醐天皇に尽くされました。兄の新田義貞が福井県で討死した後は、四国中国地方の総大将として戦っておられましたが、ここ伊予国分寺にて病没。現在、脇屋義助公出身の群馬県太田市と愛媛県今治市は姉妹都市となっています。

脇屋義助公之廟
脇屋義助公之廟

「弓矢の道、死を軽んじて名を重んずるを似て義とせり」

【脇屋義助公について】

1307年、上野国新田郡(現在の群馬県太田市脇屋町)新田庄由良郷台源氏館にて新田朝氏にったともうじの次男として誕生。第56代、清和せいわ天皇の子孫であり、清和源氏(河内源氏義国流新田族)として、後醍醐天皇に仕えた。世の中は北条氏による執権政治で廃れており、後醍醐天皇が挙兵。足利高氏は、朝廷を監視する役割を持つ六波羅探題を攻め滅ぼし、脇屋義助は兄である新田義貞と鎌倉を攻め、鎌倉幕府は滅亡した。後醍醐天皇は京都に入り、建武の中興にて天皇親政が復活。活躍した足利高氏は、天皇のお名前「尊治親王」から一文字を与えられ、足利尊氏となった。世の中に平和が訪れたかのように見えたが、武家政治の再興を目指す足利尊氏が離反。後醍醐天皇は、尊氏追討を命じられ脇屋義助は兄の新田義貞、北畠顕家らと朝敵となった足利軍を駆除。尊氏は九州へ逃れ立て直したのち、朝敵となることを回避すべく光明天皇を即位させ北朝を成立。光明天皇に三種の神器を渡したのち、京都の花山院かざんいんに幽閉されてしまった後醍醐天皇は脱出して吉野へ。本物の三種の神器は手元にあることを宣言され、吉野朝廷(南朝)を成立。新田義貞、北畠顕家、楠木正成などの名将が討死した後も吉野朝廷の大将として脇屋義助は各地を転戦した。後醍醐天皇が崩御され南朝が衰退する中、南朝は後村上天皇が即位。脇屋義助は「弓矢の道、死を軽んじて名を重んずるを似て義とせり」と最後まで吉野朝廷に尽くし、四国中国地方の総大将として戦っていたが、こちらの伊予国分寺にて病没。享年38歳であった。脇屋義助の子孫は村上水軍の第二家老となり、因島土生の小丸山城主で対潮院を屋敷としていた。

脇屋義助公廟堂の由来
脇屋義助公廟堂の由来

【脇屋義助公返歌】

「宮人の、かざしに香る桜花、幾代の春にかけて匂はん」

伊予国分寺の鐘から脇屋義助公廟堂へ
伊予国分寺の鐘から脇屋義助公廟堂へ

【伊予国分寺から脇屋義助公廟堂へ】

伊予国分寺から脇屋義助公廟堂へ
伊予国分寺から脇屋義助公廟堂へ

伊予国分寺前にある鐘のところに、脇屋義助公廟堂の方面が記されています。まっすぐ右の道(四国のみち)を下っていきます。

伊予国分寺から脇屋義助公廟堂へ
伊予国分寺から脇屋義助公廟堂へ

伊予国分寺から道(四国のみち)を下り、突き当たりを右折します。

伊予国分寺から脇屋義助公廟堂へ
伊予国分寺から脇屋義助公廟堂へ

まっすぐ歩きます。(右の四国のみちは、伊予国分寺方面で下ってきた道です。)

伊予国分寺から脇屋義助公廟堂へ
伊予国分寺から脇屋義助公廟堂へ

はじめの広い道を右折します。

伊予国分寺から脇屋義助公廟堂へ
伊予国分寺から脇屋義助公廟堂へ

史跡・名所の小路「脇屋義助公之廟」に着きました。

【建武中興関係神社一覧】

【神社】【御祭神】【地名】
吉野神宮後醍醐天皇奈良県
鎌倉宮護良親王神奈川県
井伊谷宮宗良親王静岡県
八代宮懐良親王・良成親王熊本県
金崎宮尊良親王・恒良親王福井県
小御門神社藤原師賢公千葉県
菊池神社菊池武時公・菊池武重公・菊池武光公熊本県
湊川神社楠木正成公・楠木正行卿・楠木正季卿兵庫県
名和神社名和長年公鳥取県
阿倍野神社北畠親房公・北畠顕家公大阪府
藤島神社新田義貞公福井県
結城神社結城宗広公三重県
霊山神社北畠親房公・北畠顕家公・北畠顕信公・北畠守親公福島県
四条畷神社楠木正行卿・楠木正時卿・和田賢秀卿大阪府
北畠神社北畠顕能公・北畠親房公・北畠顕家公三重県

【脇屋義助公廟堂 基本情報】

住所愛媛県今治市国分4丁目4-65
電話(今治地方観光情報センター)0898-36-1118
時間自由
料金無料
アクセス(電車とバス)今治駅より市内バス今治に乗車、国分寺下車徒歩約10分

【地図】

【グッドポイント】

脇屋義助公廟堂の由来がある歴史を学び取ることができる
伊予国分寺から近い史跡・名所の小路

【まとめ】

日本に吉野と京都に朝廷があった激動の南北朝時代。なぜそのようなことが起こったのか、その後どうなっていくのか。南朝に尽くした脇屋義助公の波乱の人生が、今治市教育委員会による脇屋義助公廟堂の由来に記されています。

【周辺スポット】

脇屋義介公が最後に過ごした伊予国分寺が近くにございますので、チェックしてみて下さい。

【大山祗神社】

全国に1万とある山祗神社の総本社です。主祭神の大山積大神は天照大神の兄神、山と海の守護神として知られています。神社内にある宝物館には、脇屋義助公が奉納された剣も展示されています。大山祗神社の詳細情報はこちらです。

【伊予国分寺】

伊予国分寺の詳細情報はこちらです。

【おでかけぶろぐTOPに戻る】

こちらからでも「おでかけぶろぐ」トップ画面に戻れます。

タイトルとURLをコピーしました